「離婚してから自分が性格悪いことに気づいた」についての考察

Xでバズっていたので知りましたが元の話ははてなブログになるようです。

色々な考察や所感が書かれていますが、復縁屋としての考察を書かせて頂きます。

実際にこの記事を書いた人は復縁したい人ではないですが、復縁相談をされる方の中には似たケースは多いです。

この似たケースを数多く経験しているからこそわかる復縁屋としての考察があります。

もちろん書かれた当人を全否定する意思や他の考察や所感を否定しようとする意思はありません。

あくまでこの記事に関して自分と似ていると思った人でかつ復縁したいと望んでいる人に対して参考になればいいと思い書かせて頂きます。

元ネタはリンクで添付しておきます。

※リンク「離婚してから自分が性格悪いことに気づいた」

記事を読んだ感想

この記事を読んで感じる事は性格が悪いとは少し違うかな、という点です。

もちろん色々な解釈があると思いますがなるべく正確に表現すると、自分が正しいはずなのに他者との関係性が上手くいかないのは自分に間違っている部分があるからなのかもしれないと気付いた、という話だと考えています。

ここで注意しなければならない点は自分が間違っていなければ確実に相手が間違っているという考え方です。

自分が間違っていない、それは確かにそうでしょう。

しかし他者から見ればどちらも間違っていないという場合はありますし、自分が正しくても相手にも言い分があって情状酌量の余地はあるという場合もあります。

もちろん相手が全面的に悪いという場合もあるでしょうが、そういった場合があるからという理由ですべての場面において自分が正しければ相手が全面的に悪いと考えてしまえば話は変わってきます。

また問題を解決したいから話し合いをしたいという事と自分が納得したいから話し合いをしたいという事は別問題だと考えます。

問題を解決したいのであれば双方の意見を出し合えばいいですが、自分が納得したいのであれば相手が納得させるように頑張らなければならないという話になるからです。

相手が悪い=自分が正しいと思い込むのではなく、あくまで相手が悪い=相手が悪いでしかないと考えるべきです。

相手が悪いけどどうするか?と一緒に考える話で自分が正しいから相手はどうするべきなのか?と考える話ではないという事です。

それに一部だけを切り取れば筆者が正しいように感じる話ですが、トータルで受ける印象で言えば筆者を正しいと感じる人は少ないと思います。

それは何故か考えてみましょう。

細部ではなくトータルで見てみましょう

この話の究極って最後にあります。

私だけが悪かったとは思えない、と書いてあります。

全く悪くないと思うのであれば私は悪くないと書く訳ですからこう書いてあるという事は比率は別にしてお互い悪かったという話になる訳です。

ところが書き連ねてある内容は相手が悪い話で自分は悪くないという話です。

その上で自分の感想を書いている訳ですから自分視点が多くなるのはわかりますが、自分視点しかない上に相手の気持ちについて思い遣っている部分がありません。

相手が電話はやめてと言ったから電話してません、とは書かれていますが、相手がしんどい、話したくないと言った部分は無視して私はこれだけは教えて欲しかったと書かれています。

その上対応するのが当然だと考えている訳です。

相手の気持ちを考えずに自分のしたい事をしている時点で何かおかしくないでしょうか?

そして部分的に自分がしている事を書く事で自分の印象が悪くならないようにしているとも感じないでしょうか?

聞く事が間違っているとは言いません。

けれど聞く事が間違っていなければ相手が嫌がっていても聞くのが当然とはならないはずです。

細部を細かく判断していけば間違っていないでしょう。

けれどそれは一つ一つの話に区切ればという条件付きの話でトータルするとほとんどが言っている事とやっている事が矛盾している訳です。

矛盾を矛盾と感じられない点が問題なのではないでしょうか?

色々考察してみましょう

正直この記事には気になる点が多いです。

気になる点が多いという理由は書いている当人が間違っているからではなく、書いている当人が自分が正しいという理屈で自分が正しいと思う事だけを押し通している部分にあります。

正しい部分があっても伝え方が相手の気持ちを無視したやり方であれば考えている事は正しいと思うけれど伝え方は正しいと思わない、となるのが普通です。

正しい部分があっても一方的に相手を詰めているだけであれば考えている事は正しいと思うけれど行動は正しいと思わない、となるのが普通です。

ところが書かれている内容って自分が正しいから何をしても自分が正しい、それが普通でしょ、という思考の元に成り立っているように感じます。

いくつか部分的に考えてみましょう。

例えば元夫が約束を忘れたとする、という話

例えば元夫が約束を忘れたとする。私は「なんで忘れたの?」と聞く。元夫は「ごめん」と言う。「謝ってじゃなくて、なんで忘れたのか聞いてる」「忘れてたから」「それは分かってる。なんで忘れたの?」「分からない」「自分がやったことなのに?」「本当に分からない」「じゃあまたやるってこと?」みたいな話を何時間もしてた。元夫が「もういいじゃん、次から気をつけるから」と言っても、「何を気をつけるの?」と聞いた。「忘れないようにする」と言われたら「どうやって?」と聞いた。具体的に答えられないなら意味がないと思ってた。

このくだりが理解出来ないか、出来るかで言えば理解出来ます。

何時間もという点は別として忘れていた理由も考えずに忘れていた理由もわからずに同じ事を繰り返さないとは思えないからです。

ただ同時にこの文面だけでは確実に覚えているべき約束で絶対に忘れるべきではない約束であれば夫側が悪いとしか言いようがないし、夫が忙しい時に軽い気持ちで頼んだ約束であればここまで言う必要はないと思うし、同じ事を何度も忘れるのであれば夫側が忘れるのが悪いと思うし、ただ今まで同じ事を忘れる人だったのであればこんな事を毎回言っても仕方ないと思うし、等の考えが浮かびます。

もっと考えれば色々なシチュエーションが出てくるでしょう。

そう考えた場合、約束の重要度、約束の状況、今までの状況、を踏まえて判断しなければ何が正しいかわからないと感じます。

ところがこの方にとっては「約束を忘れたら悪い」の一点しかない訳です。

またこれは人によるでしょうが、本当に二人で解決したいのであれば途中で「何で忘れてしまったか整理しながら一緒に考えよう」となってもいいのではないか?とも思います。

例えになっているという事は一回だけではなかったから例えになっていると推測されます。

忘れた、だから解決しよう、なら理解出来ます。

けれど忘れた、忘れたのが悪い、だから相手が解決するまでとことんやる、となっていないか?という話です。

そう考えた場合、一緒に解決しようという話ではなく相手に考えさせて自分の納得のいく答えを導き出そうとしている話に感じてしまいます。

目的がずれているように感じる

途中で「もうこの話やめたい」と言われても終わらせなかった。「なんで?」「疲れた」「私も疲れてるよ」「明日にして」「明日にしたらちゃんと話すの?」「話す」「何時?」「分からない」「じゃあまた逃げるじゃん」。別の部屋に行かれたら追いかけたこともある。ドアを閉められたら外から話したこともある。「一人にして」と言われると、「私だってこんな話したくないけど、あなたがちゃんと話さないから終わらないんだよ」と言ってた。一回「お願いだから今日はもう寝かせて」と言われたときは、「私はこの状態で寝られないけど、あなたは寝られるんだね」と言った。元夫は戻ってきた。当時は、だったら最初から逃げないで話せばいいのにと思ってた。

この部分に関しては目的が問題の解決ではなく、相手を詰める事が目的になっているように感じます。

しっかりと問題に向き合わないという部分だけで言うのであれば夫側が悪いと思います。

しかしだからといって、とことんやりましょう、というのは話が違うと思います。

実際こういった場合、しっかりと問題に向き合わない、という事が問題な訳ですから一旦この話を続けるのをやめて後日などタイミングがあれば、しっかりと問題に向き合わない、という事のリスクやデメリットについて理解してもらえるように説明した方がいい解決方法になると考えます。

何故なら同じ話を繰り返しても嫌な気持ちが継続するだけでその問題の根本になる部分を改善する事から計ればすべての問題が解決するはずだからです。

目的が問題の解決になっていれば違う解決方法も考え付くはずなのに詰める事が目的になってしまっているから発展しないやり取りを続けているとなっているように感じます。

正しければ何をしてもいいという話ではなく、正しいのであれば何が正しい事なのかを理解してもらうところから始めてもいいのではないか、と考えます。

どちらにも問題があると感じる

泣かれたことも何回かある。私は泣いてる間は待ってた。でも泣き止んだら「落ち着いた? じゃあさっきの話だけど」と続けてた。元夫には「何を言っても終わらない」と言われたことがある。私は「そんなことない。納得できる説明をしてくれたら終わる」と答えた。「何なら納得するの?」「それを私に聞くのおかしくない? 自分のことなんだから自分で考えて」。これも当時は普通のことを言ってると思ってた。

これも本当に納得できる説明をしたら終わるのであれば構わないというか、きちんと説明しない夫側が悪いという事になるでしょう。

けれど相手からすれば終わらないと感じている訳ですからそう感じさせている自分の言動については考えないのかな?と思います。

そして果たして問題はこれだけでしょうか?

落ち着いた?って精神的にという話なはずです。

であれば夫が精神的に落ち着いていなければ話し続けないはずです。

夫が泣き止んだとしても精神的に落ち着いていなければ話し合いはまだ先になるはずです。

ところが泣き止んだら落ち着いた事になっていて、続きなんだけど、となっている訳です。

相手がどうなっているか?ではなく自分がどう思うか?を基準にして現状を判断している訳です。

そう考えた時に相手からすれば、何を言っても終わらない、と感じてもおかしくないと思います。

言っている事が普通だとしてもやっている事が普通でなければどちらが正しいとは言えない、となるのではないでしょうか?

論点が違うと感じる

私は怒鳴らなかった。むしろ元夫が怒鳴ると「大きい声出さないで」「今感情的になってるよ」と言ってた。だから自分のほうが冷静だと思ってた。元夫から一度、「お前は絶対自分が正しいと思ってる」と言われた。私は「絶対正しいとは思ってない。私が間違ってるなら説明して」と答えた。そうしたら「そういうところだよ」と言われた。

これは論点が違うと感じます。

確かに感情的になっている人と冷静な人を比べれば冷静な人の方がきちんとした話が出来る可能性は高いです。

けれどだからといって冷静=正しい、にはならないはずです。

冷静が正しくなる理由って落ち着いているから正しい判断が出来る事が多いという点にあるはずです。

であれば私は冷静だから色々な考えを踏まえて話をしました、となるべきであって、私は声を荒げることなく自分の凝り固まった主張をしています、という話にはならないはずです。

ところがこの文章の書き方って私は冷静だからという理由で夫がおかしいという話になっています。

また正しいと思っている、という部分のくだりですが、これは明らかにおかしいです。

前のやり取りなどを踏まえると自分で考えるべき、という事を正しい前提にされている訳です。

自分がやっている事を考えた場合、お前は絶対自分が正しいと思ってる、と指摘されたら自分で実際ににそうなっているか?なっていないか?についてとことん考えるとなるべきです。

ところが私はそう思っていない、そう思うならそっちが説明するべき、となる訳です。

これは完全に相手に言っている事と自分のしている事を別にしてダブルスタンダードにしています。

これでは会話にならないでしょう。

ここって他責ですか?

結局いろいろあって離婚した。離婚するときも元夫は、もう話したくないと言ってた。私は夫婦だったんだから最後くらいちゃんと話したほうがいいと言ったけど、向こうは必要なことだけ決めて終わりにした。正直かなり無責任だと思った。結婚生活を終わらせるのに、話し合うことすらできないんだと思った。

結局色々あって離婚するのであれば双方の問題です。

話したくないとなった原因は夫にもありますし、当人にもあります。

一部分だけで考えるのであれば、離婚するにあたってきちんと話し合わない、という方がおかしいと感じるでしょう。

けれど今までの過程を考えれば話し合いが成立する事はなかった、という事実がある訳です。

そう考えた場合、最後くらいちゃんと話したいなら自分も話し合いに臨む姿勢を考える必要があるとなるはずです。

自身の態度や対応を全く変える気がない状態で話し合いに応じない相手が無責任というのは違うはずです。

話し合いの姿勢を作っていないのに話し合いに応じないと言っている人側にも問題はあると感じます。

単純な話お互いが悪いという話のはずです。

話し合う事が出来ないのは双方の問題が故であり、それを相手側だけの問題で話し合いが出来ないというのは他責思考が強いと感じます。

双方に問題がある話が何故一方に問題がある話になるのか?

まず前提としてブログを書いた人が一方的に悪いというつもりはありません。

そして夫側に問題があるように書かれていますが、夫側も一方的に悪いとは思いません。

まずそもそも論としてこういった考え方をする人はあまり自己主張が強すぎない人と恋愛する傾向にあります。

実際夫も新しく好きになった人も最後は話したくないで共通しています。

元々表現がそこまで上手くない人と付き合う傾向にある訳です。

これが表現が上手い人と付き合う事があれば相手の話にも納得できる部分があるとなって自分以外の視点を考えるという行為を行うようになります。

ところが主張や表現が上手くない人と付き合うと自分の視点に凝り固まって相手の視点を考えなければならない事を怠るようになります。

本来であれば自分も正しい、相手も正しい、という話は成立しますし、自分が間違っている、相手も間違っている、という話も成立しますし、自分は部分的に正しくて部分的に間違っている、相手は部分的に正しくて部分的に間違っている、という話も成立します。

けれどこれは自分の視点だけではなく他者の視点も考えられる人の話です。

自分の視点でしか物事を考えない人ほど自分は正しい、だから相手が間違っている、という思考に凝り固まる傾向が強いです。

けれど人間関係や気持ちってそんなに単純でしょうか?

言っている事はわかるけど、と言われた事はあるでしょうし、その考え方は正しいとけど通用しない、と言われた事もあるでしょうし、正しければすべてOKという事態だけで生きてきた人なんていないはずです。

そう考えた場合、自分は正しい、だから相手が間違っている、だけで全ての盤面が成立するなんて話自体あり得ない訳です。

実際物事の一面だけではなく他の面も見る事で正しい判断が出来るとなるのが現実のはずです。

少し考えてみましょう

悪い事はしてはいけない、これは誰でもわかるでしょう。

けれど普通に生活できる収入があるのに振り込め詐欺で老人を騙して人のお金を奪っている人と振り込め詐欺に騙されて一文無しになってスーパーでアンパンを万引きした人を同列に考えるでしょうか?

悪い事はしてはいけない、これを否定するつもりはないですが、前者には同情しないですが後者に同情するという人はいらっしゃるのではないでしょうか?

包丁だって野菜や果物を切るという目的に使う人と人を傷付ける凶器として使う人が実際に存在する訳です。

だからといって誰もが包丁を凶器だと表現するでしょうか?

円柱があったとします。

真上から見れば円に見えるので円と判断しても正しいです。

真横から見れば長方形に見えるので長方形に見えても正しいです。

斜めに見れば円柱だとわかるでしょう。

ここで円柱が正しいからといって真上から見た人や真横から見た人を間違いだと決めつける意味ってあるでしょうか?

アニメや漫画でよくある正義の味方と悪の軍団の図式ですが、細かく見たらどうなるでしょうか?

基本的には正義の味方が正しいとなるでしょう。

けれど悪の軍団側の家族から見れば家族を傷付ける正義の味方を正しいと思う事はあるでしょうか?

自分だけの視点ではなく他者の視点も考えるからこそ正しい姿が見えてくるのではないでしょうか?

一面だけを見た感想と側面も見た感想が違う事ってあるはずです。

複数の視点で考えましょう

今回の「離婚してから自分が性格悪いことに気づいた」という話についてブログ記事を書いた人の方が正しいという人もいるでしょうし、こんな人とやっていける訳ないでしょという人もいるでしょう。

どちらも悪いという人もいるでしょうし、どちらが悪い訳でもないけど合わなかったんじゃやないか、という人もいるでしょう。

人によって感じ方は違っていいと思います。

ただ一点何故話題になったかを考えると、自分は正しい、だから相手が間違っている、という固定観念が前提となったからでしょう。

人によって感じ方は違っていい話を私は正しい相手が間違っているという事で確定させたからです。

これは大げさな例えになりますが、裁判って原告、被告、裁判官、がいてと3つの視点がある訳です。

近年では裁判員制度というより人数を増やす制度もあります。

これって一つの視点だけではなく複数の視点で判断する事でより正しい判断が出来るという考え方から成立している訳です。

そう考えた場合自分が正しいと思っても他者が正しいと思わない事なんてあってもおかしくないのではないでしょうか?

自分が正しいと思うのはいいですが、相手から見てどう思うか、他者から見てどう思うか、まで考えた方が良いと思わないでしょうか?

自分の正しいだけが全てではなく、自分の正しいだけが絶対という訳ではなく、色々な形の正しいがある事を知ればこの問題は解決するはずです。

正しいを振りかざす人って振りかざした時点で正しい行動になっていない事に気付くべきです。

復縁したい人の中にも私は正しい、私が正しい、相手が間違っている、と言われる人は多いですが、そうですね、と肯定できる人はほとんどいらっしゃいません。

こういった自分では気付けない事に気付きたいという人は一度弊社にご相談下さい。

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